あれこれ言う前にやってみ、やってみてダメなら止めればいいだけじゃんか。
今日は10年以上前の自分の様子を振り返りながら、自分の経験上で得たことを話します。
当たり前のことかもしれませんが、その当たり前のことができていないパターンが多いんですよ。
いきなり横暴なタイトルですみません。今日はこちらのツイートです
↓
今でこそ私は速攻で行動していますが、昔は頭で分かっていて行動しないずるい人間だったんです
— ミル@ものづくりとWebライター (@milu_minimafiri) 2020年6月21日
❌時間にルーズ
❌汚部屋
❌ギリギリで腰を上げ慌てる
❌約束守れない
ルーズだったんです。でもなんで変われたのか?一度やってみて上手くいったから
できない人はまず一度やってみる、これマジ大切💪
その昔、私はどうしようもない人間でした。
というか、これは今になって思うことなのですが日々の生活に追われていて余裕がなかったからこのような状態になっていたんだと思います。
今でこそ私は速攻で行動していますが、昔は頭で分かっていて行動しないずるい人間だったんです時間にルーズ、
汚部屋、
ギリギリで腰を上げ慌てる、
約束守れないルーズだったんです。でもなんで変われたのか?一度やってみて上手くいったから
できない人はまず一度やってみる、これマジ大切
こちらのツイートを深堀りしていきます。
あれこれ言うのはやらない理由を探すのが簡単だから
人って自分の希望要望や意向にそぐわないときは、その理由を探して述べるのが簡単です。
なぜかというと、やりたいときの理由よりやりたくないときの理由をあげるのがはるかに簡単だからです。
いわゆる 「言い訳け」ですよね。
あーだこーだ理由を作り塗り固めて結局はやらないんです。
別にいいんですよ、本人がやりたくなければやらなくていいんですから。
でもね、やりたいときの理由ってズバッとかんたんに出てきますか?
おそらくほとんどの人がただ単に直感で「わぁー!やりたい!」ってなるんだと思います。
こういうときの理由って聞いたことありますか?あんまりないでしょう?
不思議ですよねーやりたくないときの理由ってポンポン出るのに、やりたいときの理由ってあんまり出ないのが。
あれこれ言うまえに騙されたと思ってやってみる
ということで、私はツイートしたとおりその昔は余裕のない人間でした。
一番の原因はその日の生活に追われていたからだと思います。母の介護プラス毎日の夜勤、夜勤明けに早朝のバイト。
家に帰ってきたら寝るだけと母の介護に追われる生活。
こんなんで余裕の余の字もなかったからだと思います。
全てにおいて余裕がなかった、特にお金、時間、生活そして心の余裕まで。
なので、ついついあれこれと言っては否定的な思考になってしまっていました。
もちろん、言い訳けのオンパレードです。
ですが、あれこれいう前に一度でいいからやってみてはいかがでしょう?人間やってみないと分からないことってあるでしょ?
そしてやってみて自分にダメであればスパッと手を引けばいいんです。
つまり「やるかやらないか」
簡単なことでしょう?こんな簡単なこと、みんなどうして決められないのでしょうか?
あれこれ言っていた人間がどうやって変わっていったのか?
こんな私ですが、16年あまりの介護ののち5年前に母が亡くなりその後色々とあって今にいたるのですが、どうやって変わることができたのか?
ぶっちゃけ、本当のところは自分でも分かりません。
ですか心のどこかにちょっとだけ自分に対する余裕が生まれたのは確かです。
母が亡くなったあとも母の借金が立派な遺産となり私にのしかかってきました。
でも崖っぷちの覚悟で仕事の掛け持ちをしてなんとか乗り切ってきました。
ちなみに夫のヘルプは一切ありません。夫には関係のない借金ですからね、私も彼には頼りたくないという意地もありましたし。
結局のところどう変われたかというと、崖っぷちまで追い込まれたからです。
ぶっちゃけ電気ガスが止まったこともありました。
でもそこで振り返る暇なくなりふり構わず突っ走ってきた。そうしたらなんとかなったというのが正直なところです。
人間、追い込まれたらなんとかしようと行動します。
今行動できない人って実際に追い込まれていないから、明日の食いっぷちに本当に困ったことがないから、電気ガス水道が実際に止まったことがないからではないでしょうか?
とにかく自分でできることをがむしゃらに我を忘れてやったらできていたという感じです。